ミライ会議の考え
『東京の改革を成し遂げる力をください』
ミライ会議は、都政の改革を目指す政策集団として、2022年10月に都議会で会派を 結成し、翌年2023年1月に政治団体を設立しました。
明治維新から続く過度な国の中央集権は、東京から自由を奪い、東京に行政機関が集中しました。その結果、東京には、国立・都立・区市町村立の機関や施設の乱立など超多重 行政が生じて、指揮系統や責任があいまいです。
一方で、東京都も組織の利益を優先した結果、都政が本来持っている「課題を解決する突破力」を活かせていません。平成以降30年以上も、日本は停滞しています。
政治、行政、経済や芸術文化など、あらゆる活力が集積している「東京の改革」は、全国に波及し国全体の改革につながります。だから、東京の改革が必要なのです。
メンバー紹介
木村基成(代表)

建設会社に入社、配属先の大阪支店で阪神淡路大震災を経験し、その後、経営企画部へ配属となり、行政の仕組みに限界を感じ、構造改革に期待した。
退職後、大学院在学中に中川雅治参議院議員(自民党)の秘書になる。選挙区が都内全域であり、「東京」を通じて物事を見てきた結果、国全体を覆う30年以上の停滞を突破するためには、東京の力が重要だと気づく。2013年に都議初当選し、小金井市で25年ぶりの自民党都議となる。2016年、舛添知事の政治姿勢を巡り都政が停滞。党執行部に反し、本会議で舛添知事に「出処進退」を求めた。目前の五輪は社会が発展し進化する機会なので、ビジョンと信が無い知事では東京を導けないと判断。都政改革が行いたいので、都議会自民党を離脱し、新風自民党を結成。都民ファーストの会に合流し、2期目の当選(世田谷区)。執行部で党や議会運営を行うも、希望の党問題で、都政改革は失速。仕組みを変える改革が、単なる政策のバラマキへと変質。2021年、都議選落選。改革政党として再建を目指したが、都立高入試へ英語スピーキングテスト導入の問題点を指摘した同志が除名された。改革を毅然と貫き、東京から国を立て直すため、ミライ会議を設立。
桐山ひとみ(都議会議員、西東京市)

疑問に思うこと、「なぜ?」「どうして?」から政治の世界へ。
私は、幼少期から大学まで新体操競技選手としてオリンピックを目指すアスリートとして学生時代を過ごし、心と身体を鍛え上げてきた。オリンピックの夢は叶わなかったが、日本代表選手として世界選手権に出場、卒業後はNHKテレビ体操の番組の体操アシスタントとして出演。
その傍ら地元西東京市(旧保谷市)で新体操教室の指導者として活動する中で、選挙への出馬要請があり、身近な地元スポーツ指導員たちの「これからは健康づくりと予防対策が重要!」現場の声が力となる、と言う力強い声を受け立候補を決意。
1999年28歳で初当選。
西東京市議会議員として2014年まで5期連続当選、2017年小池百合子都知事の東京大改革に感銘を受け都民ファーストの会から都議会議員選挙に立候補し初当選。2021年~現在2期目。
2022年10月「中学校英語スピーキングテスト」の都立高校の入試に活用する事に反対し都民ファーストの会を除名され「ミライ会議」を結成。
「おかしい事をおかしいと言えなくなったら政治家終わり」と原点に返る事を忘れない。
田の上いくこ(都議会議員、江戸川区)

小さい頃から自分の姓が何回も変わり、せめて「選択的夫婦別姓」により、アイデンティティを失わない社会を実現したいと思いました。
また、学生時代にシドニー大学で国際政治を学び、アジア・太平洋地域から来た友人たちの置かれた軍事的支配の状況を聞き、改めて日本の安全保障のあり方について自分なりの提起をし、政治の世界に身を置きたいと考えました。しかし、帰国後、政治・経済に携わる仕事に就くことはできず、外資系企業に就職。円より子参議院議員(当時)主催の「女性のための政治スクール」に出会い、「普通の会社員でも選挙に出ることができる」と学び、2003年民主党で江戸川区議会議員に出馬し、トップ当選。2007年都議会議員補欠選挙での惜敗を経て、2009年に都議会議員となりました。築地市場の移転問題、特に豊洲新市場の土壌汚染を徹底追及し、激動の4年間を送るも、2013年の選挙で惜敗。2017年都民ファーストの会で再びトップ当選を果たし、現在3期目。2022年10月「中学校英語スピーキングテスト」の都立高校入試導入に反対し、都民ファーストの会を除名され、意思を貫いたメンバーと真の改革を目指し「ミライ会議」を結成。
もり愛(都議会議員、大田区)

小学生の時チェルノブイリ原発事故に衝撃を受ける。大学で世界の貧困問題、グローバル資本主義、地域の文化・歴史に根差した「真の豊かさ」「社会変化と女性の生き方」を研究。就職氷河期に卒業。派遣社員を経験し個人の努力を超えた社会不条理を実感。レポーター・ナレーターとして活動。’03年岡﨑都議(大田区)選挙スタッフ、岩國哲人衆議院秘書を経て、’07年大田区議会最年少当選(以後3期)、’16年都議補選13万1092票で賜るも惜敗、’17年都議選トップ当選(都民ファースト)2期連続当選。
東京都のエネルギー施策に「再生可能エネルギーを基軸」の一言を加えた。「こども基本条例」「手話言語条例」制定に携わる。’23年4月大田区長選次点、6月都議補選トップ当選。
米川大二郎(都議会議員、葛飾区)

親子二代の元都庁マン。平成5年に東京都入庁。伊豆諸島三宅島の都立三宅高校、青島都知事が中止した世界都市博覧会の事務局、総務局人事部、港湾局港湾整備部や港湾局総務部で勤務。
総務局人事部人事課服務班での3年間。連日、都民の方からの苦情の電話対応を経験。その時、最後に「おかしな事があれば必ず変えて行きます」と話しました。ある時、「米川さんがそう言うなら分かったよ」と言ってくれた方がいました。その時の約束・経験が将来、政治の道を志す原点になりました。都庁の内部事情を知れば知るほど、一都職員としてできることの限界を感じていきました。都民の方に話した、「おかしな事があれば必ず変えて行きます」と言う約束を守るため、平成17年に都庁を退職。地元葛飾区選出の東京都議会議員の樺山たかし先生の秘書として政治修行。葛飾区議を経て都議会議員に当選し、現在2期目。
昭和43年4月18日生まれ。野球好きの父の影響で小学3年生から野球を始める。都立小岩高校野球部では投手。神宮外苑再開発事業で解体される神宮第二球場で公式戦を戦う。日本大学在学中、母校、都立小岩高校野球部の監督として、神宮球場で指揮を取る。
推薦のことば

小島敏郎(弁護士、元環境省審議官、元東京都特別顧問)
東京都は、法人税の仕組みにより財政が豊かだが、国政との関係でしか注目されない「メディアのエアポケット」をよいことに、古色蒼然の官僚主導都政、天下りの制度化が行われている。これを許容する代わりに、都庁官僚が与党的会派に成果として宣伝できる「実」を配分する仕組みができている。これが「東京都の伏魔殿」の構造である。
ミライ会議は、石原知事も小池知事もできなかった東京大改革の本丸、「東京都の伏魔殿」に挑む。小さな利権のおこぼれに喜々とせず、「隠し事のない都政」・「都民と対話する都政」、そして、「官僚政治に挑戦し、都民の都政」の実現に果敢に挑戦するミライ会議は、都政の良心であり希望である。全力で支援する。